4月後半から5月にかけての、この季節の彩りといえば新緑。
今年は近場限定ですが、このブログでも、その表情は何度もお届けしています。そのなかで気づかされるのが、新緑というのはそれこそ日刻みで色あいを変えてゆくほど、微妙で繊細なものだということです。
新緑撮影では「定点」としているスポットが私にはいくつもありますが(その多くは秋には紅葉撮影スポットを兼ねています)、そこで撮った新緑の、その時々を比べてみると実感させられます。
もちろん毎日行けるわけではないので、「晴れた休みの日」に行って撮影した各年の表情を比べてみてのものです。
たとえば、だいたい同じ画角で撮ったこの3枚。京都郊外・八瀬のとある場所です。
それぞれの年で4月20-30日の間に撮影したもの。いずれも「新緑の季節」といえる時期のものですが、10日足らずでこんなにも違います。
正面の、主役ともいうべき樹は、芽吹いたばかりの淡いパステルグーンから、次第に緑も濃さを増していきます。最後の一枚は、もちろんまだ新緑らしいみずみずしさ、艶やかさは残していますが、それでも夏の近さを感じさせるほどです。
背景の山も、同じように彩りを変えています。最初の一枚は山桜の花や「春紅葉」も混じった淡さなのに、しだいに緑の豊かさが増していく。
こちらは、先の場所からほど近く。このアングルで撮るのが私は一番好き、というほどです。
手前の樹の、繊細過ぎるほどの緑の淡さ。
今までの新緑撮影の機会でも、いちばん彩り豊かなときに行けた、というこの一枚。山桜と一緒に撮れたのが貴重です。
今年の先週末の撮影。
4月に気温の高い日が続いた一昨年には、4月も20日前なのに、すでにこんなに青々と茂っていました。
同じ場所での逆方向。稜線が対角線になるように撮ったものです。
4月もまた半ばで、山桜が鮮やかな一方、葉も芽吹いて間もない樹もちらほらです。
こちらは特に彩り豊かだった去年の撮影。
緑の濃さが増していくと。
今日はこんな感じでした。
春の移りゆくものというと、古来儚さの譬えとされてきた桜が、まず思い浮かびます。華やかに咲き誇るのもつかの間で散ってゆく。
でも新緑の彩りもそれ以上に、移ろってゆくものです。
散ってゆく花とは違って、これから生命力を漲らせていこうという緑なのですが、それでも芽吹いて間もない頃の、淡い緑の繊細な美しさはつかの間しか見られない。
たとえて言うなら、子どもが、若者が、成長の階段を上っていくなかで、その時々にしか見られない姿、魅力でしょうか。15歳の時には15歳の時の、17歳の時には17歳の時の、他には代えがたい時間と魅力がある、というような。
初夏に入ろうという今の時期の新緑がいわば20代の青年期であるとすれば、芽吹いて間もない新緑の淡い彩りは思春期の微妙さ、繊細さに対応するようなイメージです。
本当は人生のどの時点もかけがえのないものですが、こうした時期にはそれがとりわけ実感される。新緑の美しさにも、似たところがあるように思います。
それでは、今回もご覧いただきありがとうございました。