光つかまえて~雫と海と季節のフォトブログ~

写真を通してつかまえた光をお届けしていきます

「晩夏」「晩秋」と「晩冬」「晩春」と

 昨日の仕事先の近くで撮影した、大阪・天満橋から眺める夕景をまず紹介しましょう。

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 高層ビルの建ち並ぶ大阪では、街中で夕景を撮ろうと思えば視界の開ける橋の上がベストです。道行く人々の中でも、足を止めてスマホコンデジで撮っている姿をたびたび見かけました。

 本当にこれからが、夕焼けの美しい季節です。

 

 ですが、そろそろ梅雨入り。

 先の記事でも触れましたが、5月は私の季節感だと「春」というよりは、「初夏」。もちろん夏でもなく、独立したひとつの季節として認識します。6月の梅雨入りまではそうです。「梅雨」も真夏とは別の季節といったほうがいいので、一年は四季というより六季。

春・初夏・梅雨・夏・秋・冬。

この間、私とはまったく独立にこの六季区分を語っている方をはてなブロガーさんで見つけて、大いに共感したところです。

 思えば、「晩夏」「晩秋」という言葉はたびたび耳にしますし、私自身撮影した写真の季節感を表現するためにも使います。それに対して、「晩冬」「晩春」とは、用語としては存在するものの(辞書にも記載あり)、ほとんど使われることがないように感じます。少なくとも私は、このワードで特別に検索した時以外で用例に出会ったことは皆無に近いところです。

 これは、四季それぞれの初め頃を表す言葉と比べてみればはっきりします。「初夏」「初秋」「初冬」は普通に使われます。春については、「初春」と言うと(旧暦と新暦がないまぜになった結果として)正月のことになってしまうので、代わりに「早春」が用いられます。こちらも使用頻度は高い。けれども季節の終わり頃については「晩夏」「晩秋」はよく言われても「晩冬」「晩春」はめったに聞かれません。

 おそらく、冬や春の場合はその後に迎える季節がいっそうの「成長」を感じさせるものであることが理由でしょう。だから「晩」という語感がそぐわない。むしろ次の季節のはじまりのほうが強く意識され、早々に「早春」「初夏」と言われるようになる。新暦の今日でも、5月が「晩春」でなく「初夏」として扱われるのはそのためでしょう。

それに対して夏から秋へ、秋から冬への移り行きはどことなく物寂しさを感じさせます。夏の終わり頃にはまだ暑さは残るものの日もかなり短くなり、朝晩はどうにか涼しさを感じさせる。そして多くの人が子ども時代、学生時代には味わって記憶に残っているだろう「夏休みが終わってしまう」というやるせなさ。また秋から冬であれば木の葉も落ち、底冷えも厳しくなる。そういった時期の寂寞感が、「晩」という文字のイメージとよく合っている。だから「晩夏」「晩秋」は好んで用いられるのではないかと思います。

 私は「日の短い季節」が苦手です。夕方、早々と暗がりが襲う。朝もなかなか明るくならない。それだけで気が滅入りがちです。ある種生物的な感覚でもあるかもしれません。冬は寒さ以上に日の短さがダメで、そのため1年で最も嫌いな月は12月です。一番寒いはずの2月は、もうかなり日も長くなっているので、苦手な時期はすでに脱しています。

ということで、日の長い今の季節は基本的に気に入っているわけです。

 

 それでは、今回もお読みいただきありがとうございました。