染まりゆく北の空~鴨川の夕焼け~
前回の記事でその一端を紹介した、京都では今年に入って初めてかもしれない華麗な夕焼け。ここで改めて、どのように空が色づいていったか。夕暮れのショータイムをご覧いただくこととしましょう。
ということで順を追って。
だいたい7時10分前。この時期だとまだ日没時刻にもなっていません。
すでに色づき始めていますが、この空模様を見れば「今日は間違いなく焼ける」と予想できます。
こちらの記事でも書きましたが、
- 地平線近くの空が開けている
- 日の沈む方向に、高空にかかる雲が出ている
という、美しい夕焼けが見られる条件を完全に満たしているからです。
この季節なら太陽はかなり北寄りに沈みます。そしてかかっている雲は巻雲。巻積雲(うろこ雲)と並んで空の高いところに出る雲です。こういう雲こそ染まりやすいのです。
7時を過ぎる頃から、さあ、いよいよショータイムです。
3分ほど経つと、鮮やかさを増してきました。
ひとまず緊急事態宣言が解除され、人通りも増した街。橋上を行く人も多くなっていて、この時間ぐらいになると夕焼けはいやでも目に留まります。スマホを取り出して撮影する人たちもちらほら見かけます。
とはいえ一度シャッターを押したらそのまま去ってゆく人も多く、これからが夕暮れのショータイムの本番なのに、何とももったいないことを……と内心感じつつ見送ります。
それから2分もすれば、こうなりますから。7時10分ごろです。
13分頃。
15分ごろ。ちょうど佳境というところです。
フィナーレです。20分を過ぎたあたりです。
初夏から夏にかけては太陽が北寄りに沈むので、こんなふうに北の空が鮮やかに染まることがあります。この季節に夕焼けを撮影するなら、西だけでなく北の方角も開けているスポットを選ぶのも大事なポイントです。
ほぼ南北に流れる鴨川の橋の上というのは、北空の夕焼けをとらえるには絶好のポジションです。しかも川への映り込みというおまけもついています。
そして、これからが夕焼けの季節の本番なので楽しみなところです。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
夕焼けの季節へ~鴨川・北大路橋から~
とりあえず、最高でした。
今年に入ってからはここまで華麗なのは初めてといっていい夕焼けでした。
こちらのブログで再三強調していますが、夕焼けのベストシーズンは秋ではなく、夏です。
アクセス数で見てもこれが一番人気の記事で、お読みいただいたみなさまにも知っていただけているのではないかと思っています。
そして、これほど鮮烈な夕焼けが見られたということは、まさに季節が夏に近づいている証なのです。
写真は鴨川・北大路橋の上から、ほぼ真北に向けて撮ったもの。こうやって北から東にかけての空が焼けるのも夏の夕焼けの特徴です。南北に流れる川の橋の上というのは、そんな夕焼けを撮るには理想的なポジションにほかなりません。
緊急事態宣言がひとまず解除されてもなお、私の仕事は今のところまだ基本的に在宅なのですが、これからは外に出る機会も増えるでしょうから、夕焼けを自宅近く以外で撮ることも多くなりそうです。
さらに赤く染まったもう一枚。
この日の夕景の表情は改めての記事でさらにいろいろと紹介していこうと思いますが、リアルタイムでお届けするのはまずここまでとしましょう。
今回もご覧いただきありがとうございました。
桃の花三色~京都・北山杉の里より~
今日は、過去撮影からこの一枚。季節的には今の時期とずれますが。
京都郊外・北山杉の里のとあるスポットから。濃い紅色から淡いピンクまで、三色の桃の花を、北山杉の深緑を背に。
色の対比をお楽しみください。
空まで入れると。
より広角に撮るとこんな感じです。過去の4月下旬の撮影です。
ということで、今回もご覧いただきありがとうございました。
宮沢賢治『十力の金剛石』を思い出す~雫のプリズム~
私のこだわりの撮影テーマである「雫のプリズム」。
透明な雫が、色鮮やかな宝石へと変わる瞬間です。
最近ふと読み返した、宮沢賢治の短編『十力の金剛石(虹の絵具皿)』に通じるものがあるな、と感じました。私は子どもの頃から宮沢賢治は愛読していますが、この作品は久々に繙いたかと思います。
とある国の王子さまが霧の朝に、仲良しの大臣の子と一緒に、自分たちの持っている宝石よりももっと素敵な宝を探そうと出かけます。彼方の森にかかる虹の足元にあるという「ルビーの絵具皿」、さらに素晴らしいだろう金剛石(ダイヤモンド)を探して森に分け入っていった2人は、不思議な歌を歌う蜂雀(=ハチドリ)に導かれて、こんな壮観に出会います。
その宝石の雨は、草に落ちてカチンカチンと鳴りました。それは鳴るはずだったのです。りんどうの花は刻まれた天河石と、打ち劈かれた天河石で組み上がり、その葉はなめらかな硅孔雀石でできていました。黄色な草穂はかがやく猫睛石、いちめんのうめばちそうの花びらはかすかな虹を含む乳色の蛋白石、とうやくの葉は碧玉、そのつぼみは紫水晶の美しいさきを持っていました。そしてそれらの中でいちばん立派なのは小さな野ばらの木でした。野ばらの枝は茶色の琥珀や紫がかった霰石でみがきあげられ、その実はまっかなルビーでした。
もしその丘をつくる黒土をたずねるならば、それは緑青か瑠璃であったにちがいありません。二人はあきれてぼんやりと光の雨に打たれて立ちました。
多方面の自然科学に通じ、鉱物学にも造詣が深かった賢治ならではの、とても美しい描写で、絢爛たる色彩が目に浮かんできそうです。
でも、ありとあらゆるものが宝石でできたこのきらびやかな光景でありながら、草木は何かさびしいといいます。もっと大切な「十力の金剛石」がまだ降りてこない、というのです。十力の金剛石っていったい何だろう、と2人が思いをめぐらせるとき、それはやってきます。
それは露でした。生きとし生けるものを生かし育むもの。それが降りてくることで、先の草花はほんものの草花になって、生命にみちあふれたほんとうの美しさを見せるようになったのでした。「十力」というのは仏様のもつ十の力のことをいい、いってみればこの世のすべてに恵みをもたらす力ということでしょう。それはどんなきらびやかな宝石よりも尊いもの。その力は水のみならず、自然のいたるところに満ち溢れている。2人はそれに気づくことで、物語が結ばれています。
草木をはぐくみ、人の喉を潤す水。そのほんのひとしずくが、金剛石=ダイヤモンドと呼ばれるほどの本当の貴い宝となる。賢治がこの短い話で描こうとしたことと、この雫のきらめきとが、ちょうど重なるように感じました。
それでは、今回もご覧いただきありがとうございました。
花咲き乱れる堤~桂川のハマダイコン~
まずは、こちらの写真をご覧ください。
花咲き乱れる高原かと思いました? 残念、ここは京都市内でした。市内を流れる桂川のとある土手を見上げるように撮ったものです。
桂川東岸の、西大橋と上野橋の間、府道113号線で川沿いの道に入る手前で右に入った道からの撮影です。
少しアングルを変えてみれば、この通り。
右端に、ガードレールが見えます。その向こうに見える遠景は愛宕山です。
咲き乱れる、白に紫の入った花はハマダイコン。その名の通りダイコンの仲間で、野草ではありますが食用にはなります。ただしダイコンのような立派な根はつけません。
アングルを変えてもう一枚。
それにしても、街中にこんな花でいっぱいの光景が見られるなんて素敵じゃないですか。
これが見られるのは4月半ばごろで、今年はもう見頃も過ぎているはずです。例年ならこの時期仕事で近くまで行くので、その折に立ち寄って撮影できるのですが、今年は新型コロナの影響でその仕事も在宅に。撮る機会はありませんでした。今回紹介したものはすべて過去撮影です。
この時期の桂川は、こんな感じです。
新緑の山に菜の花が咲き乱れて、こちらも美しい。
冒頭の写真のように、まるで山の花畑に見えるように撮る。
これは、堤防などの低い斜面で、「近寄ってローアングルで撮る」方法を使った結果です。こうすれば向こうにあるもの(山や建物、ここではガードレールも)が全部斜面で隠れて、空だけが広がった写真にすることができます。
「写真は引き算」とはよく言われます。余計なものは入れずに、主題を引き立たせるように撮る。その方法としては「ズームで切り取る」のが一つですが、この「斜面で隠す」というのもあります。あまり写真の技法書でも見たことが無く、もしかすると「裏技」の一つかもしれませんが、皆様もお試しください。
こちらも同じ方法で撮ったもので、実際には向こうに民家や工場が建ち並んでいます。立ち上がれば普通に目に入るのですが、「近寄ってローアングルで撮る」と、そうしたものを入れずに、桜と土手だけの写真にすることができるというわけです。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
連なる煌き~雫のプリズム~
先日の雫撮影からさらに。
今回は、連なって輝く雫たちの、大切な瞬間をわかちあいたいと思います。
大小のきらめきが並んでいますが、右上の、いわばα星と、左下のβ星の変化にご注目。
薄緑で鮮烈に。
オレンジで情熱的に。
澄んだ青。左の方は黄色の輝きになっています。そのまわりで小さな透明な光もいくつか。
緑と赤紫。
これが一番のお気に入り。主星が青と赤の輝きを放ち、2つの色が重なった部分は紫になって、絶妙のハーモニーを奏でます。
主星の輝きは赤紫に。
少しだけ青に近づいた紫へと変わりました。
全部同じ場面での撮影ですが、1枚1枚がみな違う。この光は二度と撮れない。写真のなかにとどめなれば永遠に失われてしまう瞬間たちです。
ということで、今回もご覧いただきありがとうございました。