光つかまえて~雫と海と季節のフォトブログ~

写真を通してつかまえた光をお届けしていきます

宮沢賢治『十力の金剛石』を思い出す~雫のプリズム~

 私のこだわりの撮影テーマである「雫のプリズム」。

 透明な雫が、色鮮やかな宝石へと変わる瞬間です。

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 最近ふと読み返した、宮沢賢治の短編『十力の金剛石(虹の絵具皿)』に通じるものがあるな、と感じました。私は子どもの頃から宮沢賢治は愛読していますが、この作品は久々に繙いたかと思います。

 とある国の王子さまが霧の朝に、仲良しの大臣の子と一緒に、自分たちの持っている宝石よりももっと素敵な宝を探そうと出かけます。彼方の森にかかる虹の足元にあるという「ルビーの絵具皿」、さらに素晴らしいだろう金剛石(ダイヤモンド)を探して森に分け入っていった2人は、不思議な歌を歌う蜂雀(=ハチドリ)に導かれて、こんな壮観に出会います。

 

 その宝石の雨は、草に落ちてカチンカチンと鳴りました。それは鳴るはずだったのです。りんどうの花は刻まれた天河石と、打ち劈かれた天河石で組み上がり、その葉はなめらかな硅孔雀石でできていました。黄色な草穂はかがやく猫睛石、いちめんのうめばちそうの花びらはかすかな虹を含む乳色の蛋白石、とうやくの葉は碧玉、そのつぼみは紫水晶の美しいさきを持っていました。そしてそれらの中でいちばん立派なのは小さな野ばらの木でした。野ばらの枝は茶色の琥珀や紫がかった霰石でみがきあげられ、その実はまっかなルビーでした。
 もしその丘をつくる黒土をたずねるならば、それは緑青か瑠璃であったにちがいありません。二人はあきれてぼんやりと光の雨に打たれて立ちました。

 

 多方面の自然科学に通じ、鉱物学にも造詣が深かった賢治ならではの、とても美しい描写で、絢爛たる色彩が目に浮かんできそうです。

 でも、ありとあらゆるものが宝石でできたこのきらびやかな光景でありながら、草木は何かさびしいといいます。もっと大切な「十力の金剛石」がまだ降りてこない、というのです。十力の金剛石っていったい何だろう、と2人が思いをめぐらせるとき、それはやってきます。

 それは露でした。生きとし生けるものを生かし育むもの。それが降りてくることで、先の草花はほんものの草花になって、生命にみちあふれたほんとうの美しさを見せるようになったのでした。「十力」というのは仏様のもつ十の力のことをいい、いってみればこの世のすべてに恵みをもたらす力ということでしょう。それはどんなきらびやかな宝石よりも尊いもの。その力は水のみならず、自然のいたるところに満ち溢れている。2人はそれに気づくことで、物語が結ばれています。

 

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 草木をはぐくみ、人の喉を潤す水。そのほんのひとしずくが、金剛石=ダイヤモンドと呼ばれるほどの本当の貴い宝となる。賢治がこの短い話で描こうとしたことと、この雫のきらめきとが、ちょうど重なるように感じました。

 それでは、今回もご覧いただきありがとうございました。