ヒノキと雪融けの雫
今日は、この1枚。
2年前の、年明け間もない雪の日に撮ったものです。過去の写真で振り返っても京都で目立った積雪が無いのはこの2年のようです。
いつもは杉の樹で撮っている雫のプリズムですが、今回は珍しくヒノキ。この趣向で撮るには葉先に水滴がつきやすい針葉樹が向いているのですが、松だと葉が細くて先端につく雫も小粒になり、あまりいい写真になりません。
でも檜なら、こんな感じにもなります。いつもの撮影フィールドで檜はあまりなく、ちょうどいい感じで撮れたのがこの時でした。
オレンジ、緑、紫と、なかなかカラフルです。
せっかくなので杉の樹で撮ったもう一枚。
真っ赤な輝きですが、バックの白い部分は積もった雪であり、光の弱さもあって冬らしい寒々しさも感じさせます。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
熊野古道・長井坂から望むすさみの海
久々に南紀すさみの話題で。
熊野古道は世界遺産にも選ばれ、古道歩きは外国人旅行客にも人気のコースとなっています。古道の「大辺路」はすさみ町も通っていて、この一帯は「長井坂」と呼ばれます。すさみを旅しても、時々古道歩きの人たちとは出会うところです。
この地の、重要な観光資源のひとつであることは間違いないでしょう。
私は「古道歩き」で熊野まで踏破する……ようなことに挑んだことはないのですが、この長井坂を歩いてみたことはあります。古道がどんなふうになっているか見てみたいというのと、この長井坂のあたりは古道のなかでも海の眺望が特に素晴らしいコースということで、ここから海の写真を撮影してみたらどうだろうかという思いからでした。
方向も見老津駅近くの長井坂入り口から周参見駅方面に向けて歩くという、巡礼とは逆向きの、いわば帰りのコースです。
ここから入ってみると、すぐ近くは海だとは思えない山道になります。
でもいくらか登れば、海を眺望できる開けたところに出られます。
いくらか登り進んでみると、
山側はまさに深山幽谷。
海沿いまで険しい山が迫り出している、紀州らしい地形です。
ところどころ木々の間から、枯木灘の海が見渡せます。
見老津漁港まで見渡せます。
その向こうには江須崎まで。
いくらか歩くと、恋人岬、黒島が眺望できるところまで出ます。
古道の中でもよく整備された、段築(版築)と呼ばれる構造。
だいたい海を眺めて撮る目的は果たしたので、歩きを終えることにし、道の駅・イノブータンランドに降りるコース(ネット情報で確認済み)から海辺まで出ました。この辺りは正規のコースではないのであまり整備が行き届いておらず、道を見つけるのにちょっと難儀しましたが。
この後、フェニックスクリフまで足を伸ばしています。
もっぱら歩きでの移動で通したので、かなり疲れるところでした。
ということで、古道歩きというより海の眺めを目的としたこの時の旅でした。
今回もご覧いただきありがとうございました。
雪融けの煌き~雫のプリズム~
この冬はまともな積雪がまったくない京都なのでそのチャンスは一度もないのですが、降雪後に晴れた日は、時に雫撮影のチャンスになることがあります。木々に降り積もった雪が融けて雫になるからです。
寒い中、凍える手ではフォーカスもままならず、結構大変な撮影になります。「煌いている雫のついた枝にフォーカスする」のでないとちゃんとした写真にならず、半押しでのピント合わせもかなり微妙な作業になるので、手袋越しではできません。どうしても人差し指は素手で触れる必要があります。人差し指と親指の部分だけ切り落とした、撮影仕様の手袋を用意してはいますが、やはり指先むき出しは寒い。撮っては使い捨てカイロを握りしめて温め……の繰り返しになります。
それでも何とか撮影した過去のものから。
赤と青の対比が鮮やかです。
下の雫が青から緑に。
今度は上が橙に。
こちらは赤ふたつ。
最後に青緑と黄緑。メインの二つだけでなく、周りの煌きも注目してみてください。
木々に積もった雪が融けて雫になり、滴り落ちる束の間の魔法の時間。寒さの中でも、この瞬間に立ち会えれば何よりです。
雪融けの雫で撮ったプリズムはまだまだありますが、今回はこの辺で。
ご覧いただきありがとうございました。
雪深き新年を思い出す
暖冬です。
今のところ本格的な寒波もなく、私の住む京都でも、市内では積雪は一度もありません。氷が張っているのも見かけたことがありません。
冬はまだひと月半ほど残っているのでどうなるかはわかりませんが、ここまでは例年になく過ごしやすい冬と感じます。
そんな折に、過去には大雪の新年もあったことを思い出します。5年前の1月です。今回はそれを思い出しつつ。
確か大晦日ぐらいから冷え込みが厳しくなり、正月3日にわたって雪が降り続きました。2日がピークだったと記憶しています。
一帯が雪に覆われ、わが家の近くでもこんな雪景色となりました。
大雪に見舞われたかと思ったら空一面が晴れ渡り、そうかと思ったら北の方角(日本海側)から雪雲がせり出してきて空を覆いつくし、また……という繰り返しが、京都の冬にありがちな天気です。晴れ渡った時をとらえれば、こんなふうに空の下で雪景色をとらえるチャンスもあるわけです。
過去のニュースを調べてみたら京都市で20cmを超える積雪を記録したとあります。
けれども市街地からやや離れた比叡山近くのわが家の辺りでは、それどころではなかったように記憶しています。積もったところでは膝元ぐらいまであったように思いました。
雪国ならこの程度は大したものではなく、対策もしっかりできているのでしょうが、これが京都だと大変。往来も少ないわが家の前の道路は、すっかり雪に埋もれていました。
こんな状況なので正月ながら遠くにも出かけられませんでしたが、それでもせっかくの雪景色。近辺で撮ったものをご紹介します。
修学院離宮のあたり。
比叡山雲母坂登山口。
「青空の映える場所」としてたびたび紹介している比叡山麓の田園。
とこんな雪景色です。
雪が積もれば「雪解けの雫」でのプリズムを撮るチャンスもあるはずですが、寒くてなかなか雪が融けないのと、日差しになかなか恵まれないことで、こちらは成果はわずかでした。
ちなみに雫撮影の冬のメインフィールドは「いつもの山道」のほんの入り口にあるので、たとえ雪の日でも何とかアクセスはできます。
これほどとは言わないまでも、この冬に京都で雪景色が見られる日は果たして来るのでしょうか。
ということで、今回もご覧いただきありがとうございました。
朝日と夕日を構図で分ける~右を空けるか、左を空けるか~
写真で「朝日らしさ」「夕日らしさ」をどう表現するか。
朝日と夕日の違い。それを写真で判別するのは、とても困難です。
朝夕の大気の状態によっていくらか見た目の違いが出ることは確かにあるでしょう。夕日のほうがやや赤く染まりやすいと言われます。
とはいえ真っ赤な朝日も、赤に染まらない夕日も珍しくありません。私も「真紅の夕日」撮りにこだわっているからこそ、快晴の日には多い、ほぼ黄色のまま沈んでしまう「残念な夕日」はたびたび目にします。朝日と夕日で全般的な見た目の違いはさして変わらないのが実際でしょう。
「朝日」「夕日」と言葉の情報が添えられているか、なじみの景色でどの方角に向けて撮ったかが明らかというのでなければ、写真だけでの区別は不可能に近いものです。私もSNSで間違えてコメントしてしまったことがあります。
ではどうやって「朝日らしく」「夕日らしく」するか。
「構図で分ける」のか、私がずっと実践している方法です。
主役をただ中心に据える、いわゆる「日の丸構図」がいかにも初心者的で、つまらないのは写真撮りの常識ですね。ではどうするか。
それは、「朝日は右側を空け、夕日は左側を空ける」構図にすることです。別の言い方をすれば、太陽を左に寄せるか、右に寄せるかです。
これは、動く被写体について、「進行方向を空けるか」「軌跡を空けるか」にかかわっています。下の水面を泳ぐカモの写真をご覧ください。
進行方向が空いていれば、「これから泳いでいく」ことを、
軌跡の方が空いていれば「ここまで泳いできた」ことを、
見る人に想像させます。
つまり「未来」を連想させるか、「過去」を連想させるかです。
言うまでもなく朝日は未来を、夕日は過去を象徴します。
ですから朝日の場合は昇っていく先、つまり右側を空ける。
これによって「始まろうとする一日」が表現されます。
夕日は沈んできた軌跡、つまり左側を空ける。
これによって、「過ぎようとしている一日」が表現されます。
太陽を中心からずらすだけで、こうやって十分に「朝日らしさ」「夕日らしさ」が表現できます。
いろいろな写真の技法書を読んでも全然このアイディアが載っていないのが不思議なぐらいなのですが、私は右を空けるか左を空けるかを、そのまま「朝日」「夕日」の表現とします。
もちろん朝日・夕日を引き立たせるために山や建物、樹木、島、岬、岩などを合わせることがあり、これらとの位置関係でセオリー通りに行かないこともあります。けれどもそれをどうしても優先したいのでなければ、「左右の原則」に従うことにしました。
朝日が右に寄っていると窮屈な印象を覚えますし、夕日が左に寄っていると空いた右側がデッドスペースのように感じられます。できるだけ避けたいところです。
ほんのちょっとした工夫でできることなので、みなさまも実践してみてはいかがでしょうか。
ちなみに本記事の原題は「朝日は左に、夕日は右に」でしたが、これだと下手をすると政治的な文脈で検索されそうなので(笑)やめました。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
新年の魔法の瞬間~雫のプリズム~
今回も、かつての元日に撮れた雫から。
初日の出を撮った広沢池付近から場所を自宅近くの「いつもの森」に移してみると、ここでまた、初日がすばらしい宝物をくれました。
縦に三つも並ぶ宝石の輝き。まず橙、黄、ピンクと暖色系が並びますが、この三つが、彩りを変えていく不思議なひとときをご覧ください。
いちばん上の雫が、青へと変わります。
そして青・緑が三つに。
三つの青。
いちばん下が、虹色の光に。
入れ替わるように、いちばん上が虹色に。
雫一つひとつの輝きでも鮮やかで美しいのに、三つの雫がこんなふうに色を次々に変えていくのは、妙なる華麗なひととき。
一年のはじまりの日からの、自然からのプレゼントでした。写真の中にとどめることで、こうしてみなさまとも分かち合いたいと思います。
それでは、今回もご覧いただきありがとうございました。
初日の出と雫 続いて
前々回の「初日の出と雫」の続きです。
初日の出を首尾よく見届け、カメラに収めることができた4年前の元日。降ったり晴れたりを繰り返したこの日は、得がたい冬の雫撮影の機会でもありました。
初日の出の延長でしばらく広沢池のほとりで、冬枯れの樹の水滴がこの年はじめての日差しにきらめく光景を撮影したのが、前回の記事です。
でもそれだけではありませんでした。ここでの撮影を一区切りして近くの杉林に入ると、こんなのが撮れました。
一枚の写真のなかに、これだけのまばゆい煌きがあるだけでも貴重なショット。でも、少しアングルを変えるだけで、彩りはさらにカラフルになっていきます。
真ん中あたりの雫2つが、だんだん緑、青系の色に変化していきます。
それにともなって、いちばん大きな、上から二つ目の雫の色も変わります。
光のマジックを堪能できたひとときでした。
初日の出だけでも十分に素晴らしかったのに、こんな自然からのお年玉があろうとは。恵みに感謝です。
これだけではまだ尽きないのですが、それは改めての機会に。
それでは、今回もご覧いただきありがとうございました。