一本の樹を追悼する
昨日未明の豪雨で倒れ、押し流された一本の杉の樹。
それは私にとっては、かけがえのない撮影パートナーでした。その喪失感は、一日明けた今日も、まだ尾を引いています。
過去の雫写真をこの機会に見返してみましたが、思えばその写真の半分ぐらいは、その樹についた雫で撮ったものでした。これほど、美しい煌きを演出してくれる樹は他になかったからです。
雫の煌きを撮るには、広葉樹より針葉樹。針葉樹の中でもスギが最も適しているとは、撮り始めて間もなく、気づいたことでした。
その樹は登山道沿いの小川の岸辺に一本立っていて、森の中と違って、開けた場所で光が当たりやすい。背後の山腹に太陽が隠れることのない春から初秋にかけては、絶好の条件にありました。
高さは10mほどでした。低いところでは目線より下まで枝があり、間近からでも撮れる。梢についた雫でも望遠を利かせれば十分な大きさで撮れる。そういう意味でも非常に撮影に適していました。
しかも湿気のこもりやすい谷間にあるためか、付着した水滴が乾きにくく、前日の降雨でも、翌朝撮りに行ってもまだ残っていることが多い。森の中の他の樹はとっくに乾いていても、この樹にだけは雫が残っていることも、たびたびでした。
そんなわけで、いつものフィールドの中でも最も撮影に適した樹であることに気づくと、雨が上がって晴れた撮影機会には、まずこの樹をメインに撮るようになっていました。
そうして、7年になります。数えで言えば8年。私の雫撮影は、この樹とともにありました。年来の撮影パートナーと言ってもいいほどでした。
年数を重ねれば、「4月や9月の10時頃はこの辺り」「5月の9時はこの辺り」と、季節と時間帯でどの辺りの雫が撮りやすいかまで、だいたい把握できるようになっていました。それで時期ごとの撮影の楽しみまでできていたぐらいです。
それだけ慣れ親しんでいた樹が、昨日、永久に失われてしまいました。もう二度とこの樹で、これまでのように雫を撮ることはできません。この森のなかには雫の撮れる樹は他にもいくつもありますし、これから改めて別の樹も探してみるつもりですが、もうこの樹があの雫の輝きを見せてくれることはありません。
この樹に目を留め、写真に残していたのは、たぶん私しかいないと思います。倒れて流されてしまった今、もはや私の記憶の中と、撮り続けてきた写真の中にしか存在しないことでしょう。
こんな樹が、かつてたった一人の人間にしか気づかれずにいた、美しい煌きで飾られいた。そのことせめて、このブログをお読みいただいているみなさまにも分かちあえればと思います。
一本の樹への追悼でした。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。