愕然~突然に失われたもの~
今日、私にとってかけがえのなかった、大切なものが失われました。
私の住む京都では、梅雨後期にはありがちなことですが、未明に激しい雨が降りました。何度か雨音で起こされました。私の住む地域から比較的近いあたりには、避難勧告まで出されていたほどです。
明け方には雨は上がっていて、朝には晴れ間も見えるようになっていましたから、ちょうど土曜日ということもあり、雫の煌きが撮れるかもしれない。予報はあくまで曇りなので、日が射しているうちにとっておこう。そんなつもりで、いつもの森にまで足を運びました。
登山道の入り口あたりでも、もう煌きが迎えます。
枯れ枝を飾る宝石たち。
これはなかなか貴重な、真っ赤な煌き。
同じ枝の別の雫で、青の煌き。少し風が吹いていて枝が揺れがちで、いくらか撮りにくくはありましたが、なかなか綺麗なものが見つかるようです。
こちらの、ダイヤモンドを思わせる輝きも。
そして、夏の時期には最大限のズームで望むと美しい、高い樹の枝を飾る宝石たち。
その色違い。
小さな光の競演。
色とりどりです。
しだいに雲も広がってきて、撮りづらくなってきましたが、まだ陽射しがあるうちに撮れるものを探そうと、登山道をさらに進み、いつものメインフィールドとして撮っている場所へと向かいました。
しかし。
登山道の横を流れる川は、明らかに景色が一変していました。大いに増水しているばかりか、岸が削られ、いつも見慣れた風景とは違っていました。
まさか……と嫌な予感とともに進んでいくと、これまで雫の煌きをずっと撮ってきた、私にとっては「例の樹」とでもいうべき樹も、そこにはありませんでした。
未明の豪雨で倒れ、押し流されたようで、もはやどこに生えていたかすらわからないぐらいになっていました。
私は愕然となりました。
この樹に春から初秋にかけては実にいい角度で太陽が射し、水滴を煌かせることを知って以来、7年―数えなら8年―にわたって撮り続け、そのつど、私にかけがえのない瞬間、かけがえのない宝物を贈ってくれた樹。それが失われてしまったのです。
もうあの樹に降り注ぐ陽射し、それを浴びて煌く雫は、二度と撮ることができません。この森ではまだ雫を撮れる樹はたくさんありますが、この樹ほど美しい輝きを見せてくれる樹は、他にはありません。私にとって年来の撮影の友といってよいほどの樹でした。
それはかけがえのないものの喪失でした。
他の倒木が倒れ掛かったり、藤の蔓が巻き付いたりして、徐々に弱ってきている様子は前から感じられて気になってはいましたが、こんなふうに突然に失われるとは、思いもよりませんでした。ずっと、そこに行けばいつでも撮影できる。そう思って疑いませんでした。
人だけではない。自然のものとの別離も、突如として訪れることがある。それを痛感させられた日でした。いまだに喪失感による動転を引きずっています。
追悼として、直近にその樹で撮れた煌めきをいくつか。
この樹の思い出は、記事を改めてさらに振り返りたいと思います。