海を眺めた原体験
このフォトブログでもたびたびテーマとなっているのが、ここ数回の記事にもあるように「海」。
長らく住んでいるのは内陸の京都市なので、普段は見られません。だからこそ特別な機会にしか撮れないものとしてこだわっているということもあります。
でも美しい海への憧れには、私にとっては幼い日の「原体験」も根源になっていると感じます。ここで、その原体験を振り返ってみたいところです。
間違いなく原点は、その昔、小学校入学前の春休みのこと。
父と父の旧友と、その家族ともどもで、海辺のまち・蒲郡のあたりを旅行したときでした。大人たちの目的が温泉だったのか、それとも父が当時興じていた競艇だったのか、よくは覚えていません。覚えているのはこの辺の「うさぎ島」(前島)で遊んだことぐらいです。
ただ、それにもまして忘れられないのが、泊まったホテルの窓から見た、夕日にキラキラ輝く海でした。
それまでも海水浴に行ったことはあったので初めて見る海ではないのですが、海ってこんなに綺麗なんだ、と、その美しさは、子ども心にも鮮烈に焼き付いたんですね。同時に普段は見られない景色であり、今この日だからこそ眺められるという寂しさも実感したところです。
あれをもう一度見たい、と思いつつ、高層マンション住まいの友達の家に遊びに行ったとき、夕方に窓から眺めてもそんな景色は見られない……と、がっかりしたことも覚えています(私の実家は一戸建てで、眺望は全くありませんでした)。
私の育った名古屋市南区・道徳(当時はわかりませんでしたが変わった地名です)地区は名古屋港まで直線距離なら3km足らず。
実は海は結構近くて、そもそも江戸時代までは海だったところを干拓して開発された土地です。あの桶狭間の戦いの当時の古地図などを見ると、辺りはまだ海だったことが見て取れます。愛知県の語源となったとされる「あゆち潟」です。
小中学校の校歌でも歌詞に海は出てきました。でも子どもの頃の行動範囲ではそこまで思いも及びません。気づいたのは中学生になってしばらくしてからで、地図を見て「客観的に」知ったというところです。海が近いという実感はありませんでした。
そもそも名古屋港のあたりの海はお世辞にも綺麗ではありませんから、行ったところであの時の美しい光景に再び出会えるわけではありません。名古屋港に「海を見に行く」という発想はありませんでした。
それでも「綺麗な海を見たい」という思いはずっと続いていて、行動範囲も格段に広がった大学時代。いろんな海辺の地に旅しましたが、そのなかでも学生時代ならではの「青春18きっぷで紀伊半島を一周して帰省する」旅のなかで車窓から眺めた南紀の海。このとき改めて「こんなに青くて綺麗な海があるんだ」と思い知らされ、後に写真を趣味に加えるようになってから、繰り返し南紀すさみに足を運ぶ素地となったわけです。
今となっては、幼き日に見たあの海が何処だったのか、泊まったのはどんなホテルだったのかも、確かめるすべはありません。
こちらは数年前、出張で蒲郡に行った時に泊まったホテルからの眺め。
かすかに夕焼けにはなったものの太陽は隠れていたので、かつてのように海面がきらめくという光景は見られませんでした。
それでも、海を眺めた原体験の地ということで、思い入れも覚えるところでした。
こういった子どもの頃の原体験って、本当に後々まで影を落とすものですね。
ということで、今回もご覧いただきありがとうございました。