南紀の夏~白浜・三段壁と荒れた海~
前回に続いて、この夏の南紀・白浜での撮影から。
白良浜は季節も季節、海水浴客で当然のように溢れ返っていましたから、風景撮影としてはスルー。通り過ぎる時、海が荒れてきたので遊泳禁止を告げる放送が聞こえていました。
ということで、次なるスポットは三段壁。何度も訪れていますが、今回の狙いは荒れた海とともに撮ることです。
ということで、今回は正面の展望所入り口ではなく裏手の路地から入りました。
下の地図で言うと、「パールシャト」の建物の横の小道です。
一頃と比べても立ち入れる区域がかなり制限されていますが、通常の遊歩道のさらに先に行ったところに出られ、そこから続く岩場もなかなかの壮観です。
上の写真では海も穏やかに見えますが、方向を変えてみると。
荒れた海ほど色鮮やか。これは私にとって海撮影の鉄板のセオリーとなっています。これに気づく人が多くないのはむしろ不思議なほどです。
そして正面の展望所から。これが真打ちです。
エメラルド色を帯びたマリンブルーが荒れてなお映え、岸壁に打ち寄せる激しい波がこの絶景に迫力を増します。
遠近感を増すために、魚眼で撮ったのがこちら。
惜しむらくは、海が荒れすぎて一部、濁った泥が海面に流出していることでしょうか。
崖下を見下ろして、こちらも魚眼撮影。
荒波の激しさに身がすくみそうです。
そしてさらに足を延ばし、梶原島を展望する橋へ。
ズームで撮ると、真夏らしいエメラルド色が際立ちます。
この時間ぐらいに雲も広がってきたので、撮影としてはここまででした。
実は日帰りです。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
南紀の夏~白浜・番所山公園より~
9月に入って3日目。まだ暑さの戻る日はあり、本格的な秋の訪れはもう少し先になりそうです。
この夏に訪れたところで、まだ語れていないものも残っていましたので、まずはそちらから。すさみへの旅とは別の時に訪れた、こちらも南紀・白浜のことです。すさみ行きの旅程に組み込めればよかったのですが上手くいかず、結局別の日になりました。
お盆休みの初めの頃、台風が来る前でまだ天気も崩れていない日ということで、「青空の下、荒れた海を撮る」という私のテーマは、こちら白浜でも追求してみたかったというわけです。
そして一つの目的は、春にも一度撮影した「番所山公園から望む円月島」をより好条件で撮るということでした。
サムネの写真でもおわかりかと思いますが、南向きになるのでこの撮影はどうしても逆光になりやすいのです。これを避ける一つの方法は朝夕の時間に撮影することですが、もう一つの方法は夏の昼間に撮ることです。
夏であれば真昼の太陽高度が高いので、南向きでも逆光になりにくいのです。
ということで白浜へ。快晴というわけにはいかなかったものの青空は十分広がり、撮影には不足のない天候でした。
まずは番所山に向かう途中の路上からの遠景撮影。
そして山へ。山といっても高さわずか30mですが、遮るものはないのでオーシャンビューは最高です。
そして、目当ての円月島。予定通り、青空を損なわない、順光に近い条件で撮ることができました。
ズームしてみるとこう。真夏らしい鮮やかなマリンブルーが映えます。
こちらが3月に撮影したものですから、季節の違いもよく分かると思います。
海岸まで降りてもみました。
円月島の撮影でひとまず目的は果たしたといえますが、次には別のスポットへ。
こちらの過去記事でも紹介した場所です。
ここは特に風の吹きつけも激しく、海の波も立ちやすい場所です。
断崖から見下ろして魚眼撮影してみるとこうでした。
荒れた海を撮るには絶好のスポットでした。
まだこの時の旅は続きますが、そちらは次の記事で。
今回もご覧いただきありがとうございました。
「秋の日はつるべ落とし」は何故か
こちらは、過去の9月に私の住む京都で見られた夕景です。
「秋の日はつるべ落とし」ということわざがあります。井戸のつるべ、つまり水を汲むための桶を落とすように、秋はあっという間に日が暮れる、という意味です。明らかに水道が普及する以前の時代にできた言い方で、今の私たちには今一つピンとこないかもしれません。私自身、もちろん「つるべ」の実物を見たこともありません。ただ、このことわざ自体は今でも使われていて、秋には日の暮れるのが早く感じられるという実感は、私を含めて共有している人は多いと思います。
夏は日が長かったので、それとの比較で夕暮れの早さがひしひしと感じられるということもあるでしょう。考察したウェブページのなかには、そういう主観の問題として解しているところもありました。
でも、実はちゃんと客観的な根拠があるのです。
国立天文台のサイト内の「各地のこよみ」で、私の住む京都の今年夏至から冬至までの日の出日の入り時刻を見てみます。
年ごとに大きな差があるわけではないので、毎年ほぼ同じと考えていいでしょう。
夏至と秋分が基準点となるので、その間をおおむね1か月ごとに区切ります。
6月22日(夏至) 4:43 19:14
7月23日 4:59 19:07
8月23日 5:22 18:38
9月23日(秋分) 5:45 17:54
10月23日 6:09 17:13
11月22日 6:37 16:48
12月22日(冬至) 7:01 16:49
ちなみに秋分の日の昼がきっかり12時間でないのは、日の出・日の入りの定義がそれぞれ「太陽が地平線上に少しでも姿を見せたとき」「地平線下に完全に隠れたとき」だからです。
東京だと15分ほど日の出・日の入りとも早くなります。秋から冬にかけて関東に出張したりすると、暗くなるのが関西にくらべてかなり早いのが実感できるところです。
さてこれで、日の入り時刻を比較してみましょう。
6月と7月の差は7分、7月と8月は29分、8月と9月は44分、9月と10月は41分です。
つまり、夏至周辺の時期よりも、秋分周辺の時期のほうが、日の入りが早くなるペースが確実に速い。「どんどん日が短くなっていく」と感じられるのは、数字上の根拠があるわけです。1週間で10分、半月で20分ほど変わるわけなので、いつの間にか「もうこんな時間に日が沈むの?」と驚くのも当然です。
日の出の時間差が16分、23分、23分、24分なのと比べても、日の入りの変化のペースのほうが高い。そもそも私のような相当な朝型人間でなければ夏に明るくなる頃から起きている人はそうはいないでしょうから、生活実感としても日の出より日の入りの時刻の変化の方が感じやすいでしょう。
こういうわけで、季節の変化が実感できるわけです。
こちらのページでは、立ち入って物理学的に説明していました。
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2007_01/2007-01-09.pdf
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
夏の終わりを飾って~雫のプリズム~
今日は8月31日。夏の終わりの日です。思えばあれほどの猛暑の日が続いたとはいっても、梅雨明けが遅く、またお盆明けにはもう秋雨のような天気になったことを思うと、今年の夏はずいぶん短かったようです。
昨日の時点では曇時々雨という予報でしたが、今日の午前中は思いのほか、日が射しました。昨日の雨は上がるのが早かったので、朝になれば地面はほぼ乾いていました。森の中にも水滴は残っているかどうか微妙でしたが、ここは行ってみないとわからないということで、いつもの森へ。
途中の木々にもほとんど水滴は残っていない様子でしたが、小川沿いの「いつもの杉の樹」には、十分雫撮影ができるほど残っていました。今まででもよくあったことで、この辺りは何か乾きにくい条件があるのかもしれません。
ということで、今回見いだした宝を。
もともと曇りの予報の日だったこともあり、何度も雲から太陽が顔を出すのを待っての撮影だったので機会は限られていましたが、それでも撮れたなかでも、こちらの2枚は会心です。
上の2枚目の主星の色違いです。
真夏に比べれば日もずいぶん低くなって、この樹に光が射す時間も限られてきました。そして秋分の日の頃にはほぼ山の陰に隠れてしまいます。ここで撮影できる季節も、今年は残りわずかです。
もう太陽の角度で言えば、今は4月10日頃とほぼ同じになっています。日の長さも、もちろん同様です。季節は温度より先に、光から移っていきます。
それでは、この辺で。今回もご覧いただきありがとうございました。
夕焼けの雲はこんなふうに色づいていく
昨日に続いて、京都は嵯峨・広沢池の夕景から。
この夏、別の日の撮影です。
今回は、「夕焼けの雲はこんなふうに色づいていく」という話です。
結論から言えば、「空の低い層の雲ほど早く、高い層の雲ほど遅く染まる」ということです。
現地に着いた時、ちょうど日が山に隠れた直後。
私は前にも書いたように「真紅の夕日でないと撮らない」ポリシーなので、この日は夕日そのものは撮るつもりはなかったのですが、雲模様から夕焼けは行けそうということで。
太陽が沈んだすぐ先を別にすれば、まず染まるのが手前の、つまり低い雲です。
次第に高空にある巻雲が色づいてきます。
この日は雲が薄い分、華麗に染まるという具合にはいかなかったのですが、それでもほんのりと色づいて西空を彩るのも趣深いものです。
この時、低い層の雲はもう色づきを失い、黒くなっています。
そして最後は、いわゆるマジックアワー。
夕焼けというのは地平線下に没した太陽が上空の雲を照らし上げることによって起きる気象現象。地球が丸いから起こるわけですが、そうである以上、空高くにある雲ほど、遅くまで沈んだ太陽から照らされ続ける。だから、「染まる順序」というのがあるわけです。
これを心得ておくと、夕景撮影もさらに楽しめると思います。
では、今回もお読みいただきありがとうございました。
夕景を撮るのには「諦めの悪さ」が大切
夏も終わりに近づきましたが、夕焼けのベストシーズンは、秋ではなく夏です。
そして夕景の名所として、京都は嵯峨・広沢池のことは以前の記事でも紹介しました。
先日、ここに久しぶりに夕焼け狙いで行った時のことです。
夕景の名所であることは知る人ぞ知るようで、常連のカメラマンから通りがかってスマホで撮る人まで、夕暮れ時には結構多くの人が来ています。
美しい夕焼けが見られるかどうかは、もちろん自然にゆだねるしかありません。
そういうわけで、今日は染まるかどうか、西空の行方を私も含め多くの人が見守っています。
日の長い今の季節、7時前になりましたが、西空はこんな様子。
染まるには染まりましたが、今日はこんなものだろうと見切りをつけて、足を返す人たちも見かけるようになりました。
当たり外れもありますから、この程度の染まりようでは撮るほどのものは見られなかったと判断しても、無理はありません。でもここで帰ってしまった人は、これからの写真をみればきっと後悔するでしょう。
上の写真から約10分後に、ようやくこんなふうに染まりだしたからです。
その2分後にはさらに夕焼けは広がりました。
ますます華麗になったのが7時10分頃。
ここではシンメトリーに撮るのが醍醐味。ということでズームで。
こんなふうに、見事な夕焼けが見られた日でした。日没から20分後です。
ここで言えるのは、夕焼けの撮影には「諦めの悪さ」が大事だということです。
夕焼けというのは、地平線下に没した夕日が雲を照らし上げることによって生じる現象です。ですから、見られるのはあくまで日の入り後。もっぱら夕日だけを狙って、太陽が沈んだら引き上げてしまうのは残念なやり方だというのは、まず夕景撮影の初歩です。
しかも、空が華麗に染まるのは、日の入り時刻からしばらく経ってからのことが多いのです。今日はこれまでか……と思ったら、いきなり鮮やかに空が染まってくるということも少なくありません。
ですから、かなり後々まで諦めずに待つ。それが大事なことも多々です。
この時も、今日はダメか……と帰ろうとしかけた矢先に染まりだし、これほどの夕焼けになりました。
そういう意味でも、日が沈んでから20分は待つ。それぐらいの諦めの悪さこそがチャンスを増やします。
なお、「日が沈んでから」というのは、あくまで日の入り時刻からということです。三方を山に囲まれた京都などでは早々と山に太陽が隠れてしまうので「日が沈んだ」と感じる時刻がどうしても早くなってしまいます。
ですから、日没時刻は事前にチェックするなり、その場でスマホで調べて確認するなりして、正確に把握しておくことが大切です。
これが、みなさまの夕景撮影でも参考になればと思います。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。
晩夏の赤の輝き~雫のプリズム~
先日、晩夏の雫を撮れた機会。今日の記事では、そのなかでも特に目を引いた、赤の輝きをご覧ください。
雫というと青・紫といった寒色系の光の方がイメージに合いそうな気がしますが、その一方で鮮烈な赤の輝きというのもあります。
スペクトルの端、可視光のなかで最も波長の長い色ということもあり、赤の煌きというのはそう撮れる機会もありません。
こんなふうに、繊細に色合いが異なる赤の表情もこのときに得た宝でした。
同じ雫は、青の光も放ちました。本当にひとつぶの雫の、瞬間だけの奇跡です。
この樹で宝探しができるのも、9月半ば頃までです。それを過ぎると太陽が低くなって山に隠れ、この樹を日差しが照らさなくなってしまいます。次の機会は来年の4月からになります。
秋が深まれば別の樹が宝石で飾られる時が来ますが、それはまた別の機会に。
では、今回もご覧いただきありがとうございました。